2018年1月13日土曜日

ドイツの再生可能エネルギーは宗教のおかげ?

 ぼくのドイツ人の友人に、放射線防護問題に詳しい友人がいます。その友人を訪ねた時でした。先日、日本のドキュメンタリー映画の女性監督がインタビューにきたというのです。映画監督は、ドイツの脱原発、再生可能エネルギーの普及について取材しているということでした。

 インタビューの主なテーマは最終処分問題だったようです。でも、ドイツでなぜこう再生可能エネルギーが普及してきたのかという質問もあって、それはドイツ人の宗教観からきていないだろうかと聞かれたそうです。ドイツでこれだけ再生可能エネルギーが普及してきているのに、なぜ日本では進まないのか。その違いがどころからきているのか、それを追求してみたいというのが質問の背景だということでした。

 ぼくの友人は困ってしまいました。思ってもみなかったし、考えてもみなかった質問にどう答えていいかわかりません。友人の連れ合いの女性が哲学などに詳しいので、その女性がいろいろ助け舟を出してくれました。その場は、それで何とか終えたということでした。簡単にいえば、まあそういうところもあるかもしれないけれど、よくわからないが彼らが答えた結論でした。

 でも二人の本音は、そんなことはないと思っていると、ぼくに明かしてくれました。なぜそういう質問をされたのかもわからないといっていました。

 二人は今度、それについてどう思うか、ぼくに聞いてきました。ぼくにとっても、それは思ってもみなかった質問でした。

 再生可能エネルギーと宗教。うーむ。

 確かに昨年2017年がルターの宗教改革600年だったとはいえ、再生可能エネルギーを進めたいという気持ちと宗教を結び付けるのはとても意外でした。無理がないだろうか、といわざるを得ませんでした。

 再生可能エネルギーという自然なものを求めることが宗教観に通じるところがあるのか。それなら、自然に対する思いは西洋人のドイツ人よりは、日本人のほうが自然との調和にもっと強い思いを持っていないでしょうか。

 600年前の宗教改革は、上から宗教を押し付けられるのではなく、市民自身が宗教に対する意識にめざめたのでした。そうして、自分のための宗教になったのでした。それが、市民社会への社会改革へとつながっていきます。市民の意識改革であったともいえます。

 ぼくは、そこに再生可能エネルギーとつながるところがあると思います。

 再生可能エネルギーは発電設備が小型で、それを分散化、ネットワーク化させて使うことに意義があります。そこに、一般市民自らがエネルギーの供給、利用に関わる可能性が生まれます。だから、ドイツでは再生可能エネルギーへの投資の60%が一般市民によるものです。

 市民が大手電力会社にどういうエネルギーを使うのか強制されるのではなく、自分で使いたいエネルギーを自分で選ぶ。自分で発電する。再生可能エネルギーは、その可能性を市民に与えてくれます。市民はそれによって、エネルギーを利用することにおいて、自立できるのです。

 これは、エネルギーに対する市民意識を改革し、エネルギー自治を実現して、エネルギーにおいて経済権力から解放される一つの方法となります。

 ぼくはドイツ市民社会に、エネルギーを自分たちのものにしたい、しなければならないという意識があると感じます。それが、ドイツでここまで再生可能エネルギーを普及させてこれた一つの大きな要因だと思います。

 それは、「エネルギー選択宣言」で伝えたかったことでもあります。

まさお

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